vol.042 旅先で買いたいもの、売りたいもの

現代の私たちは、江戸時代の水戸黄門さんがやっていたような“諸国漫遊”を簡単に楽しむことができます。キャンピングカーさえあれば…。なにしろ、黄門様の付き人たちの役目を、さまざまな機器が代用してくれるのですから。

たとえば、お銀さん。
彼女は、行き先案内人ですが、カーナビで代用できます。
お銀さんより正確です。

風車の弥七。
彼は、旅先の情報収集役。
これは、パソコンで代用。
弥七さんよりスピーディ。

弥次さん、喜多さん。
彼らは頼もしいボディガードですが、これだって携帯電話で110番すれば、警察官がすぐに駆けつけます。

その上、キャンピングカーは予約の要らない旅篭(はたご)です。
行く先々の思い出も、デジカメが手軽に残してくれます。

今は、「高速道路1,000円時代」。
昔より、旅の費用もかからなくなりました。

北海道から沖縄まで、黄門様よりはるかに手軽に、贅沢な“諸国漫遊”が実現できる時代。
いい時代になりました。

でも、私は、水戸黄門の旅行より、はるかにリッチな“諸国漫遊”の旅があることを知っています。

「さぁさぁ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。
おーい、そこの粋なお兄さん。おっと、昔の山本富士子さん、いや松坂慶子さんそっくりのべっぴんのオバアさん」
…で始まる寅(トラ)さんの旅です。

なぜ寅さんなのか。
ちょっとしたワケがあります。

露天商の寅さんは、大声で、バナナや万年筆、ネクタイなどを売っています。
でも、彼がほんとうに売りたいものは、…そして欲しいモノは、実は人と人との触れ合いなんですね。

人とのコミュニケーションを取るために、彼は、大声で、
「けっこう毛だらけ、ネコ灰だらけ、いきな姉さん立ちしょんべん」
という口上で、話しかけているわけです。

私は、水戸黄門より、今は寅さんの大ファンです。
水戸黄門さんの旅行は、70歳になったらやろうと思っています。
それまでは、家のカミさんと一緒に“寅さんトラベル”を企んでいます。

だから、全国各地のイベントで、無料または格安の露天の商いのできる販売ブースを探しています。
キャンピングカーサイトの下で展開できる“寅さんブース”です。

「おーい、そこの松たか子さんそっくりのベッピンさん。
お父さんは、松本幸四郎さんかい?
兄さんは、市川染五郎さんかい?
いなせだねぇ、このバナナ買ってゆきなよ。
一本食べれば、代役で映画に出られるよ。
二本食べれば、そっくり本人になっちゃうよ」

そんな口上を大声で、元気よく述べてみたい…。
それが、私の夢なんです。

あなたは水戸黄門派ですか、それとも寅さん派ですか。

私は、寅さんを目指しています。
そのときに売る商品は、バナナ、ポテトフライ、焼きイモ、ポン菓子(ご存知ですか?)、むかし流行った、針金を加工したネームプレート……。

いろんな商品を考えるのも、楽しいものです。

あなたは何を売りますか?

私が、あくまでも売りたいもの…そして手に入れたいものはコミュニケーションです。

【町田の感想】 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■

映画『男はつらいよ』に出てくる寅さんは、いつも旅先で、いろいろな人とコミュニケーションを結びます。
だけど、いつも肝心の“マドンナ”の心を得ることだけはできません。

ここに、寅さんの「旅」の原点があるのでしょう。

つまり、この世界のどこかで自分を待ってくれているマドンナと出会うために、もう一度、旅に出る。
寅さんの旅は、いつもその繰り返し。

でも、よく考えてみると、そのときの「マドンナ」は、もう具体的な女性を意味するものから、旅への誘(いざない)そのものになっているんですね。

「旅することは、マドンナに“ときめく”自分自身と出会うことである」

それが、寅さんのコミュニケーションの真髄です。
つまり、彼は、いつも「ときめいている自分」とコミュニケーションをとるために、人と会うわけですね。

今回の池田さんのエッセイは、そこのところを実にうまく捉えています。

「おっと、そこの松たか子に似たペッピンさん」

寅さんは、道行く女性にそう声かけるわけですが、別にモノを売りたいわけではない。
「松たか子」と呼ばれることで、くすぐったいおかしみを感じる女性と、ほんのちょっとだけ“心の交流”を得たいだけなんですね。
そのとき、寅さん自身も、道往く女性の中に「松たか子」を見出した自分を楽しんでいるわけです。

旅の面白さというのは、そういうものなんでしょうね。

水戸黄門の旅には“ない”けれど、寅さんの旅には“ある”もの。

それは、旅先で、新しい自分を発見し、その自分とコミュニケーションを取る面白さです。
旅が豊かになるかどうかは、ほぼそれで決まってしまいます。

黄門様ご一行は、正体を隠しつつ新しい土地に向かうものの、自分たちが「黄門様ご一行」であるという疑いようのない真実を最後には貫き通します。
だから、終わりごろには必ず「正義」が実現するわけで、そこに視聴者はホッとするわけですが、毎回似たような旅を味わっているご本人たちは面白いのかどうか…。

一方、寅さんの方は、マドンナが変わるたびに、一生懸命そのマドンナの求める「男」に生まれ変わろうと努力します。
そして、必ずや最後は挫折するわけですが、そのつど「新しい自分」と出会うことになります。
その「新しい自分」を発見するために、寅さんは再び、旅の空を仰ぎ見ます。

池田さんが、黄門様の旅よりも「寅さんの旅」を目指すのは、そういう面白さがよく分かっているからです。

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